「帰る場所」を見つけた3年間

旅が楽しいのは、帰る場所があるから。そんな言葉を聞いたことがあります。

「ずっと、帰ってくる場所がほしかったんです」。

そう語るのは、地域おこし協力隊として豊浦町で3年間を過ごした木村美朝(みさき)さんです。協力隊卒業後の進路を保留したまま行った旅先で、ここを「帰る場所」にすることに決めました。

都会暮らしで見つけた、新しい価値観との出会い

大学卒業を機に、東京で働く夢を叶えるためイベント制作会社に就職した美朝さん。東京の華やかな部分を詰め込んだような業界で、ハードな日々を送りました。「朝まで働いて、フラフラで、駅のホームに落ちそうになったこともあった。漫画みたいだよね」。

イベントが終わればしばらくゆっくり過ごせる、緩急の激しい都会での日々。束の間の休みで訪れた熊本県の阿蘇で、これからの人生が大きく変わる出来事が待っていました。

「出会った牧場のおじさんが、食べ物についての考え方を教えてくれたの。周りにはのびのび放牧された動物たちがいて、そのピースフルな雰囲気に心惹かれてさ…」。

知らなかった価値観とその風景に感化され、東京に帰った後も興味の赴くままフォーラムやセミナーに参加。パーマカルチャーやサステナブルなどの考え方に触れ、新しい世界の扉をどんどん開いていきました。「だんだん自分の意識が変わっていって、自然に近い暮らしがしたいなって」。

北欧と北海道をつなぐ自然、豊浦町へ

だんだん、自分と仕事の間にあるズレに気づき始めていた美朝さん。とはいえ、退職した後のことは考えていませんでした。ひとまずイベント制作会社の仕事を辞め、ずっと行きたかった北欧へ1年間の旅へ出ることに。デンマークにある社会人のための教育施設「フォルケホイスコーレ」への留学や、フィンランドでのホームステイ。北欧の自然豊かな環境の中で、さまざまな国の多様な考え方に触れ、人生の中でも忘れがたい時間になりました。

「北欧に行く前は、もう一度東京に戻ってもいいかなって思ってたの。だけど帰ってきた時には、もう全然東京じゃないなって」。

帰ってくると、地元・北海道の自然は北欧の自然にとっても似ていることに気づき、北海道での地方移住を考え始めました。豊浦町のことを知ったのは、大好きな洞爺湖に近いから。

「空き家情報を知りたくて豊浦町のホームページを見たら、たまたま図書室職員の地域おこしの募集があって。コミュニティデザインとかに興味もあったし、本も好きだし、図書室なら良いかもって」。

締め切り当日に募集を知り、駆け込みで応募した履歴書が通り、豊浦町に移住してくることになった美朝さん。トントン拍子というより、バタバタと進路が決まってたどり着いた初日のことは、昨日のことのように覚えています。

「向かいの家に住んでる夫婦に挨拶に行ったら、『今晩暇でしょ、ごはん食べない?』って突然誘ってくれて。私の両親とも年が近くて、今では豊浦の両親と思ってるくらい、お世話になってる」。

小さな町だからこその距離の詰め方に最初は驚きながらも、次第にそれこそが豊浦町の良さであると思うようになったそう。町を歩いていると、「ちょっとお茶飲んでいかない?」と声をかけられ、家に上げてもらうことも美朝さんの日常です。

こうして、図書室職員として豊浦町の地域おこし協力隊になった美朝さん。突然図書室の管理全般を一人で担うことになりました。

図書室がつないでくれた縁

とにかく1年目は古い本の除籍や書庫の片付けなどの整理整頓。手付かずだったところから、やっとスタートラインに立てる状態に整えました。「これがもう、めちゃくちゃ大変だった」。けれどその変化はあまり目に見えるものではないこともあり、初めての場所で一人で働くということに孤独を感じる毎日。

そんな反省から、2年目は町内外でのイベントを積極的に開催しました。町民を巻き込んで一緒に第二図書室を作ったり、図書室の運営を手伝う子どもボランティアを募集したり。3年目には、卒業後を見据えて図書室のスタッフも増員され、美朝さんが自由に動ける日も増えました。

図書室は、どんな人にも開かれています。本を借りる人だけでなく、ただ美朝さんに野菜を届けにくるおじさんや、世間話をしにくるお母さんもいました。たくさんの人とつながることができたのは、「ここが図書室だったからかも」と美朝さん。

「最初、移住してきたときは一人ぼっちで。だけどここで知り合いがどんどんつながっていって。小さい町だから閉鎖的かと思いきや、協力隊がんばってね!って声をかけてくれる人がたくさんいたの。一人じゃないなって」。

隣町まで足を伸ばせば、満ち足りた生活

協力隊同士の仲がいいことも、豊浦町でよかったことの一つ。「地域おこし協力隊って、みんな同じような経験してきてるから。仲間ができやすいっていうのがこの制度のいいところだよね」。豊浦町だけでなく、周辺地域全体の地域おこし協力隊とも、イベントの開催を通してつながりました。

「豊浦町っていう単体だけで考えたら、文化的なものが足りないなとか小さな不満もあるんだけど、それは近隣の町に行けば満ち足りるし。ここだけじゃなく、周辺地域の良さを集めたら、不満は全然ないかな」。

美朝さんが大好きな洞爺湖までは車で20分。休みの日にふらっと湖へ遊びに行き、雑貨店やパン屋など好きな店を巡っています。そして豊浦町に帰ってくれば、真っ赤に染まる海が待っているのです。人、文化、自然。美朝さんにとって、それ以上望むものはありません。

雲間から光が差し、小さな部屋に光が満ちました。窓の外にはヒヨドリが鳴いていて、先日洞爺湖で開催されたイベントで購入したという花が窓辺を彩っています。

追いかけたい背中と、帰りたくなる町

話しているうちにお腹が空いて、手づくりのお昼ごはんをいただくことに。食卓に並んだものは、ほとんどが豊浦町産の食べ物です。

「豊浦に来てから、地産地消に近づいていることがとても嬉しい。必要な食べ物は地域の生産者さんのもので揃えることができるし、ありがたいことに、もらいものも本当に多いんだよね」。

知らぬ間にサステナブルな暮らしをしていた美朝さん。さらにオフグリッドやパーマカルチャーに取り組んでいる移住者たちが周囲に多いことも、移住してから気づいたこと。北欧を旅して探し求めていた暮らしは、足元にありました。

「私が目指す暮らし方をしてる人が近くにいて、背中を見せてくれる。きっとこれからも力になってくれるだろうと思える人がたくさんいるってことが、ここに残りたいと思った理由の一つかも」。

これから、そういった暮らしをしている人と、ここに来る人をつなげる場所をつくりたいと語る美朝さん。自らも望む暮らしをより一層体現していきながら、あのとき阿蘇で価値観が大きく変わったように、訪れた人の気づきになるようなきっかけがつくれたら。

この地域に残る決心をしたのは、最近出かけた道東旅行が大きかったそう。道東の圧倒的な大自然がそうさせたのか、早く帰りたくなるほど心細さを感じたという美朝さん。「帰ったらこの話をあの人にしたいとか、このお土産をあの人に渡したいとか、たくさん顔が浮かんだの」。

卒業後も町に残る理由。そのどれもが真実だけれど、離れる理由がないということのほうが大きいのかもしれません。もうすっかりこの町に根を張っている美朝さんの幸せは、ただ今の満ち足りた暮らしが続くこと。世界や日本を転々とした先で、ようやく「帰る場所」を見つけました。

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